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今、我々がいる状況は
1)時(歴史)=八幡宮・寒河江神輿・寒河江祭りの歴史
・八幡宮の歴史
 寒河江八幡宮は鎌倉の鶴岡八幡宮より勧請八百年以上の歴史があり、多くの氏子が崇拝している。寒河江の荘、総鎮守の神社であり地元では「お八幡様」と称され信仰されており、県内神社界においては鬼海倶盈宮司が神社庁副長の要職に就いている。寒河江八幡宮には総代会、若宮会が組織してあり、さらに、流鏑馬保存会、奴保存会があり、それぞれの伝統を継承している。
 今から遡ること19年前「熱狂裸みこしの祭典」が企画され寒河江にイベントの「神輿祭り」が幕開けした。その2年後の昭和60年には「寒河江八幡會」が寒河江の神輿団体として初めて渡御を行った。柏倉亮祐氏を會頭として発足当時は飲食店関係者を中心に粋に組織を挙げた。平成2年にはこれまでの六角神輿を末永く保存していく意味からも新しく大きな宮神輿を作った。また、全国組織である神社に奉仕する青年の会「全国氏子青年会」に入会し、県、東北、全国の大会に参加して、神社に奉仕する心構えを学び、全国の人々と意見を交換して、組織の充実を図っている。平成12年には會の規約を確立し、組織の見直しが図られ、「寒河江八幡宮氏子青年神輿會」通称「寒河江八幡宮八幡會」と称した。「寒河江八幡宮氏子青年神輿會」は神社の祭祀に協力する事が会としての目的であり、神輿だけが全てではなく、その活動は春の御神田への御田植祭から始まるのである。
 9月9日から一週間、夜明け前に禊ぎが行われる。これは神に仕えるものとして身を清め、禍事が生じないように務める行事である。9月14日の南部御神幸行列を皮切りに、9月15日の例大祭には5時40分に集合して7時からの御神幸行列に神輿渡御、車の運転、交通整理等を協力し午後1時頃神社に戻るまで務める。御神幸行列は年に一度、御神体が神輿に乗り、練り回る事で長く引き継がれている神事である。神社に戻るまでには20キロ以上の道程を歩くことになるが、寒河江八幡宮八幡會々員は疲労を癒す時間もなく「神輿の祭典」の準備に掛かるのである。「神輿の祭典」での渡御は神社の神輿であることから「おごそかの中に神々しさ」を表し力強く練り歩く。宮入れは10時過ぎになり、會員だけの中で神社へ御神体を遷御し、これで祭りが終わったような安堵感で一杯になる。その後の社務所での宮司を始めとする、神社関係者との直会は11時頃になり、渡御を貫いた充実感と疲労で酔いが早くなる。
 祭りが終われば稲刈り、新嘗祭となるがこれら一連の行事は収穫の喜びのみならず「家族愛」「人類愛」をも意味している神事の一つである。また、第一日曜日の早朝に「神社奉仕日」を設け、境内清掃等を行っている。これは「寒河江八幡宮氏子青年神輿會」だけでなく、老人クラブ等の団体の人々も「我々みんなの社」としてやっていることである。
 年の暮れには「神社の煤払い」があり、総代会と共に行っている。近年、各神輿団体の代表も参加している。元旦には御神田で収穫した餅米で餅をつき参拝者に振る舞い、多くの人々へ「恵み」を施している。
・寒河江祭りと神輿の歴史
 歴史的資料に目を通せば、寒河江祭りの起源は「八幡宮の秋の例大祭」と示されている。それが戦前までこの土地の旦那衆が使用人や小作人にご馳走を振る舞う習わしに変化し、農地改革・税政改革を経て、氏子主体の祭りへと受け継がれて、それに並行する形で寒河江商工会が、市民の目を楽しませるイベント的な「仮装パレード」等を開催し、神事的、イベント的な二本柱が現在の祭りの原型であると記されている。
そんな中、昭和58年に寒河江祭りの一本化への悲願を込めて、青年会議所・日東食品・銘醸会・駅前商店街の4基の樽神輿で「熱狂裸みこしの祭典」が行われた。昭和60年に寒河江八幡會が発足したのを契機に昭和62年には臥龍神輿が誕生し、これを担ぐ組織として昭和63年に臥龍神輿保存会寒青會が発足し、これを母体に平成元年に南部粋龍會、平成2年に陵友睦會がそれぞれ出来た。新しい神輿を作る際の寒河江市からの1/2補助もあって、年々華やかさを増しながら《東北一の神輿祭り》と言われるまでに団体数も増え、さらに知名度を上げてきた。祭りと言えば「神輿」というように、神輿の勢いと団結力に夢を託し、今後の祭りの飛躍に期待をしている。

2)人=人口と世帯数、年齢構成、各會の人数と年齢構成
 寒河江市の人口44,129人の中約40%を神輿担ぎの適齢期と考えると17,000人が該当する。しかし、現状は神輿団体数を18団体とし、1団体平均113人として計算すれば適齢期の中の12%しか各神輿に携わっていない事になる。9歳から18歳までの神輿予備軍は人口の12%になる。
 参考に舟橋町の人口は1,436人だが、翔舟會會員は138人で、町民の適齢期人数を40%として考えると574人となり、翔舟會會員は約24%が参加していることになる。残りの6割344人の発掘が今後の課題ではないだろうか。なお、この計算はあくまでも参考値である。(巻末資料編に参考図表添付)

3)金=協賛収入、寄附
 寒河江神輿會の予算は約五百万円で約半分が寒河江祭り実行委員会の助成金、後は企業協賛金その他である。
 寒河江神輿會の本神輿會の財政状況を各會の総会資料を参考に調べてみた。会員数は63〜159名と倍以上の差がある。入会金が無料〜一万円であるが、袢天代込みの會がある。年会費は三〜五千円であるが男女で分けている會がある。また、別に神輿修理費として集めている會もある。各會の収入の部を見てみると平均百六十万円で、特に町内主体の本神輿団体の約半分がお祝い金と考えられ、町内神輿の大きな収入源となっていることは間違いないと思う。大雑把な計算をすれば本神輿會12団体で毎年約二千万円のお金が本神輿會だけで動いていることになる。
企業神輿會については全くデーターがないが、子供神輿のほとんどが町内神輿であり、お祝い金が多いと思われることから意外と収入が多いように思われる。本神輿・企業神輿・子供神輿全体では数千万円のお金が動いており、観光誘客の面も含めれば寒河江祭り及び神輿の祭典による経済効果は非常に大きいということが言える。

4)物(神輿)=全會の神輿数と備品、神輿蔵
 これからの神輿祭りを考えていく上で、現状の規模と各會の財産を把握する事は必要な事項と考え、各會の神輿や関連の装備を巻末資料編に記載する。




--- 発刊にあたり

--- 始めに=我々の心意気を示すにあたって

--- 2 今、我々がいる状況は

--- 心からの提言を

--- まとめとして心意気を表したい

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